お空に帰った娘は、私を選んで生まれてきたと思っています

 

 

 

娘がお空に帰って、今年の4月で13年になります。

 

39歳で4回目の妊娠。

32Wで緊急帝王切開後、3か月のNICU入院でした。

 

積み上げてきた積み木が、最後のところでガタガタと崩れるような喪失感。

 

なんのきっかけもないのに涙が自然と出ている毎日、少し笑ってまた涙、

もう感情の制御不能状態でした。

 

 

 

今振り返ってみて、あのときがグリーフ(悲嘆)真っ只中であったと思います。

 

 

母として子どもに

『丈夫に産んであげられなくて、ゴメンね』

経験したママが誰もが強く思って、自分を責めてしまう…私もそうでした。

 

 

そんな苦しい時

 

当時NICUで支え合うママたちとの会話のなかで聞いた

 

『子どもは、自分で親を選んで生まれてきたんだよ』

 

 

 

この言葉に、気持ちがとても救われた。

 

やっと、

  

私の凸人生を受け入れることができたし、

大きな山を乗り越えたと思う。

これからは同じ経験の人達のサポートにまわるほうに辿り着いた。

 

 

そう思わせてくれるのは、

 

1つは、

NICUの3か月間に濃ゆい親子の時間があったから…、

 

もう一つは、

あの『娘が私たちを選んで生まれてきてくれた』言葉。

 

最初は、あまりにも辛いので、

『ホントにそうだったらいいなぁ』と願うぐらいでしたが、

 

気がつけば、

 

私は本気でそれを思っているし

頭のなかにどっしりとした記憶として、塗り替えてるびっくり

 

 

私の置き換えた記憶の物語、おとぎ話と思って読んでみてくださいね。

 

 

お空の上の出来事です。

光の小さな玉が、神さまにいいました。

 

「神さま、決めました!

 わたしは、稲が美しく輝く町に住んでいるあの夫婦のところに生まれたいです。」

 

神さまは、光の小さな玉が指さした雲の下をじっと覗きこみました。

 

それから、古くて分厚い帳面をパラパラめくりながら少し困った顔で

 

 「あそこに生まれたら、大変じゃぞ。

  いっぱい注射をするし、お乳も長い間飲めんぞ。

  家にも帰れんし、ずっと小さい箱にいることになる。

  なにより地上にいる時間は短かいぞ」

 

神さまからそういわれても

光の小さな玉は、キラキラさせて

 

 「わかりました。それでもあそこの子どもになります。

  あの夫婦の子どもになって、やってみたいことがあります」

 

神さまは、ニコニコしながら

 

 「ほー、それはいったい何じゃ?」

 「それは…今はヒミツです、神さま」

 

何か企んでいる、小さな光の玉でした。

 

 

これが真実かどうかって? それはわかりません。

 

誰にもわからない…ですね。

 

けれど、

 

この言葉が私を支えてくれたのは事実です。

 

もうすぐ、娘の13回目の誕生日を迎えます。

どんな日にしましょうか?!