NICU日記③

前回のお話右矢印おしっこが出ない-NICU日記

 

緊急帝王切開した時のラッキーが一転して、次の日から容態はどんどん下り坂を転がって

 

『これが最後の治療』と言われてしまう…
 
娘に母乳をあげられない日が18日間続きました。
 
それでも
いつか娘が飲む時のために、乳腺が詰まって乳腺炎を起こさないために
母乳を絞るよう指導を受けました。

 
病棟の搾乳できる専用ルームに、
集まるママたちの中には、私のような事情の人もいたかもしれません。

あっという間に瓶いっぱいになって

搾乳終了して行くママの横で、

 

 

私はといえば、

粘っても辛うじて瓶の底が見えなくなるぐらい…

 

赤ちゃんが乳頭を吸う刺激が、お母さんの脳に伝わってお乳が分泌されるように出来ているらしく

母と子の共同作業、凄いです。

 

部屋の中央にドーンと大きなパネルが貼ってありました。

ママと赤ちゃんが見つめ合いながら、母乳を飲んでいる写真。
 
 
ここでひとり、
なかなか出ない母乳に苦戦していると
お乳より涙の方がたくさん出てました。

13年前を振り返ってみて…
産科入院中の8日間は、
NICUで娘のそばで見守る辛さとはまた別の、しんどさがあったなぁと思い出します。
産科は、
病院の中で唯一命が生まれる所で、
誕生を祝福される明るい場所。
私も4人の天使ママになるまでは、
そう思っていました。
 
けれど
 
妊娠や出産は命の営みだから、
この世の命になれなかったことも
悲しいけれど、同じ場所で起きてしまう。
 
まるで、迷い子になった命…
 
今まで流産や死産のたびに、
 この光と陰を味わって
    
さらに心が傷ついて、
置き去りになっていくようでした。
『どうして?なんで?』
 
を繰り返すだけの私の話を、
何も言わず一緒に泣きながらじっと聞いてくれた看護師さんがいたし、
母乳絞るのを放棄してしまった時に
病室に来て、静かに乳腺マッサージをしてくれた助産師さんもいてくれた。
無言のメンタルケアでした。
ただ黙って寄り添ってくれることが、
その時の私はとても有り難かった。
 
それでも、それでも
産科病棟の中にいると、自分だけ取り残されているように感じてしまうのです。
 

 

保険の書類申請で、早く娘の名前を付ける必要がありました。
NICUで頑張っている娘に贈れるものは、名前しかないけれど、
してあげられることが1つあったのが嬉しかった。
少しでも
強運で、奇跡が起こせる名前を願いました。
 
たまたま、
その晩の献立が豪華な祝膳。
 『今、泣きながら祝膳を食べてるのは
日本中でウチだけ…』
 
主人のポツリと言った言葉に、クスッと笑えた。

泣き笑いの祝膳でした。

 

そういえば、

娘にお誕生のおめでとうを、まだ言ってなかったですねびっくり

続きます右矢印